【風水の歴史】
古代中国の帝王は
首都や自分のお墓、また継承する長男誕生の場所や
戦いの場所を決めるのに、風水師に鑑定してもらっていました。
自分が住む場所だけでなく
子孫繁栄のためにお墓も重要な場所というわけです。
これらは国の運命を左右するほど重要なことだったのです。
ですから地磁気のエネルギーに沿った
運気の良い地域に首都やお墓をつくったわけです。
今でも皇居や明治神宮、伊勢神宮、
沖縄では首里城などはエネルギーが高く、パワースポットとされています。
風水は単に占いではなく
環境工学、都市工学、建築学、地理学、天文学などを
実用的に体系化した学問と言えるでしょう。
当時の風水師は皇帝にのみ仕えていました。
皇帝は、風水の威力を感じるとともに敵や諸外国に広まるのを恐れ
鑑定した風水師を殺害していました。
また、わざと大切な部分を省いた風水を広め
本来の風水の威力を自分たちだけのものにしたともいわれています。
一方で、殺害されることを恐れて
中国から世界へ移住した風水師たちが真の風水を広めていきました。
日本には仏教の伝来と共に
6世紀ごろ朝鮮半島を経由して入ってきたとされています。
日本で初めて風水を学び
実践したのは聖徳太子といわれています。
日本では、25年ほど前に
テレビなどメディアを通じて風水が広まりました。
「西に黄色いものを置くと金運が上がる」とか
「トイレを毎日掃除すると運気が良くなる」などなど
でも中国では紀元前4500年から
子孫繁栄や戦いに勝つためにずっとつかわれてきた占術だったわけです。